一時の他人の評価に永続的な価値なんてない

草薙龍瞬著「反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」」書評

高校1年生の時の担任の先生の座右の銘は「人生塞翁が馬」だといっていたのを今でも思い出す。確か、学年末の最後のホームルームの時に聞いた話だ。化学の先生で、男性、独身、その頃アラフォー世代だったろうか。「あー、面倒くせー」が口癖で、通勤に使っていた先生の白い車は指で字が書けるほど、何年も洗車した形跡がなかった。そんな先生が座右の銘は「人生塞翁が馬」だといった時は思わず笑った。

4年前、東京に転勤になって、半年でメンタル不調になって、単身赴任先の東京から地元に戻ってきた。その東京が、2年前から新型コロナウイルス感染症で大変なことになっている。あのまま東京にいたら、ずっと一人でテレワークだった。家族とも会えず、家にも帰れず、感染して症状が悪化して、下手したら1人で誰にも気づかれずに死んでいたかもしれないということが、現実味をもって想像できる。いま、首都圏は自宅で亡くなる自宅療養者が続出している。

4年前、半年でメンタル不調になって、地元に帰ってきてよかった。心からそう思っている。まさに、人生は先のことが全く分からないので、「人生塞翁が馬」だ。よかった、と思えることが不幸を引き起こし、ダメだった、と思えることが、苦難を避けることにつながることが往々にしてある。

「人生塞翁が馬」は、いわば人生とはそういうものだ、という大きな肯定

私は、人生とはそういうものだ、という大きな肯定を得て、会社や他人からの承認欲を満たしたいと苦しみ続ける人生から抜け出したい。「人生塞翁が馬」は、いわば人生とはそういうものだ、という大きな肯定だと思う。「東京はいいな、遊ぶところも観光名所もいっぱいあって、おしゃれなカフェとか羨ましいな」と地方出身の若い人なんて思っていただろうけど、みんなの憧れだった東京暮らしが、数年後、狭い部屋に閉じ込められてステイホームとかテレワークとか言われて旅行もできずに窮屈な生活になっている。一時の他人の評価に永続的な価値なんてない。意味があるようでないもの、幻想だ。だから会社や他人に認められたところで、一体それが何になるのだ。ようやくそういうことに気づいた。

高校1年生の時の担任の先生に、もう一度お会いできる機会があるのなら、先生がなぜ座右の銘を「人生塞翁が馬」とされているのか、エピソードもあわせてお聞きしたい。先生は、その時すでに、人生とはそういうものだ、という大きな肯定を得ておられたに違いない。

承認欲で外の世界に反応しない

承認欲は、人間は誰にでもある。生きている限り承認欲をなくすことはできない。でも承認欲で外の世界に反応しないようにすることで苦しみの原因を取り除くことができる。

草薙龍瞬著「反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」」では、悩みの解決のためには最初に理解することが大切だと説かれている。悩みの解決ができなくても理解できるだけで、すーっとする、と。やってみると、確かにそうだ。私には、承認欲がある、そう繰り返し唱えてみる。モヤモヤしていたものがすーっと晴れていくような気がする。

 

  1. 私には承認欲がある。このモヤモヤは承認欲が満たされないモヤモヤだった。(理解)
  2. 会社やひとに認められたところで一体それが何になるのだ。(理解して、現状をクールにとらえる)
  3. 今後はもう承認欲で外の世界に反応しない。(原因を取り除く)
  4. 人生とはそういうものだ、という大きな肯定を得て、苦しみ続ける人生から抜け出す。(解決の方向性)

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