税金配分会計ではいけないの?
英語などの語学が堪能で、世界の最先端の知識を日本に一番最初に紹介できる人が「先生」と呼ばれて崇め奉られて、「おお、私が先生だ、凄いだろ、偉いだろ」といって威張ってやってきたのが、明治以降の日本の仕組みだ、とTAC米国公認会計士講座の草野龍太郎先生が以前おっしゃっていた。例えば、税務と会計の計上時期の際を調整するためのルールがある。tax allocation という。税金費用を各期に配分する会計ルール。日本語に訳すならさしずめ「税金配分会計」だろう。ところが、正式に訳された日本語は「税効果会計」という名前になってしまったのだ。え、「効果」?ってどこから出て来たの?「税効果会計」といわれると、とたんに難しそうに聞こえる。正体は「税金配分会計」なのに。
つまり、こういうことだ。「税効果会計」という会計ルールも海外から日本に入ってきた。海外の最新の知識を日本に紹介した人が日本で尊敬を集められるのだが、そのために必要不可欠な要素がある。それが凡人には仰ぎ見ることしかできないくらい「難しいこと」であることだ。こんなに難しいことを俺はできるんだ、ということで先生と呼ばれて崇め奉られることができるのだ。
難しくなきゃダメなんです。難しくないと価値がない。
日本の公認会計士試験をみるがいい。超絶難問をこれでもかこれでもかと出題して、公認会計士志望の大学生を4年間、結果によっては4年以上、必ず合格できるあてもないのに、ダブルスクールに追い込んで、若い力を浪費させている。
なぜ、日本の公認会計士試験は超絶難しくしてあるのか、それは、先ほどの「税効果会計」と同じトリックだ。難しくないと価値がないからである。それが凡人には仰ぎ見ることしかできないくらい「難しいこと」が必要不可欠なのだ。こんなに難しいことをやってきた人、ということで先生と呼ばれて崇め奉られることができるのだ。
難しいことに価値がある、当たり前にできることには価値がない、っていうの、そろそろやめにしませんか。英語ペラペラを目指している人も、超絶難しいこと自体に価値の源泉があることを自覚せずに難関試験を目指している人も(盲目的ではなくちゃんとそれを理解したうえで日本の公認会計士を目指している人を侮辱する意図は全くありません)、明治以降の「難しいことに価値がある、難しいことをしている人は価値がある」という日本人特有の価値観・先入観の犠牲者であり、問題の根っこにあるものは実はどちらも同じなのである。