他人の目が気になるのは自分のせいではなかった
何か、いつも他人の目が気になる。若いころからずっとそう思っていた。自分のせいだと思っていたが、嫉妬が起こるメカニズムを知って驚いた。
大嶋信頼著「消したくても消せない嫉妬・劣等感を一瞬で消す方法」によれば、他人の目が気になる=他人から嫉妬を受けている、のだそうだ。この一言で救われた。他人の目が気になるのは自分のせいではないのだ。それからというものの、毎日がすごく楽になった。
では、さらに一歩進んで、どうしたら、他人の嫉妬を受けずに済むのか、受けたとしても「嫉妬なんか子どもじみたことしちゃって大丈夫ですか?」と軽く跳ね返せるようになるのだろう。
セルフイメージを高めるより、「本来の自分の姿」を取り戻すほうが大事
休職してから、復職するまでも、それ以降も、「肯定的なセルフイメージ」を取り戻す、ということを自分の最重要課題としてきた。なぜならば、それが、復職成功のカギだったからだ。復職を必ず成功させる、その一心で、徹底的に過去を振り返らない、ということを特に意識してこれまでやってきた。
「肯定的なセルフイメージ」も、自己肯定感を高めるも同じことだ。よく言われることで、これはこれで重要なことに違いないのだが、大嶋信頼著「消したくても消せない嫉妬・劣等感を一瞬で消す方法」では、むしろ、「本来の自分の姿」を取り戻すことを勧めている。
休職して復職準備し始めてから約3年、職場復帰から2年ちょっとだ。「肯定的なセルフイメージ」を取り戻す、という課題から、次の段階である、「本来の自分の姿」を取り戻す、という課題にバージョンアップする時期が来たのかもしれない。
セルフイメージを高めるため、自分は、すごい。自分は、もっとできる。自分は、・・・。とやっていると、疲れてしまうし、慣れてしまう。さらに、以前と比べてどこがどう変わったのかわからない、という。しかし、「本来の自分の姿」を取り戻すのは、目を閉じて本来の自分をじっと探していくだけだ。嫉妬を受けてやられている、自分が浮かんでくるが、その奥に光り輝く、羽根をつけて自由自在にふるまっている天真爛漫な「本来の自分の姿」を見つけて、これが本当の自分だった、と気付く。それを、じっと瞼の奥に焼き付ける。
これからは、謙遜しない、弱者の演技をしない、他人の気持ちを考えすぎない
他人の嫉妬を受けて感電している自分など偽物の自分である、と気付く。私など皆様の脅威になるような存在ではないですから、と謙遜していると逆に嫉妬を受けてしまう。だからもう謙遜なんかしないことにした。
私など、か弱い存在ですから皆様の保護を受けようなどと思うと逆に嫉妬を受けてしまう。だからもう弱者の演技をすることなんかしないことにした。
そして、他人の気持ちを考えすぎて、他人にどう思われているだろうかと常に脳にストレスが帯電していることが、他人の嫉妬を招いてしまうことを知り、もう他人の気持ちを考えすぎるのをやめることにして、自分の好きなことをやることにした。
好きなことをやっている人は、他人が気にならない。だから、他人から嫉妬を受けることはない。いままで、他人からの嫉妬でせっかくのカリスマ性が封印されていた人が、他人からの嫉妬から自由になると、これまで嫉妬によって抑えつけられてきたカリスマ性がいよいよ解放される。
「セルフイメージを高める」と「本来の自分の姿を取り戻す」の決定的な違い
「肯定的なセルフイメージ」を取り戻すことと、「本来の自分の姿」を取り戻すことの違いは、周囲の人の変化だという。セルフイメージが高まっても、周囲の人の自分に対する態度は変わらないが、「本来の自分の姿」を取り戻すと、周囲の人の自分に対する態度が全然違ってくるのだそうだ。
私もその日が来るのをいまから楽しみにして、今日の気持ちを忘れずに行動を変容させていこう。課題がバージョンアップする日がくるなんて思いもしなかった。毎日少しずつでも成長している。何歳でも少しずつ成長している。なんともありがたいことだ。