3度目の正直・米国公認会計士取得までの道のり

躁状態(多分)で再々挑戦を決断する

今から思うと、躁状態だったのだろう。専門職大学院の修士論文を書くための、課題研究は楽しかったが、大変だった。でも、自分でやりたくてやっているので、どれだけ仕事が大変な中、さらに帰って勉強をしていても、全然疲れない、むしろ、もっとやっても大丈夫、とさえ思えてくるから、不思議に思っていた。今思えば躁状態だったのだろう。大変な思いをして、修了してMBAを取得したが、燃え尽き症候群からはほど遠い。躁状態はまだまだ続く。

今なら、米国公認会計士に再挑戦しても一気にラストまでいけるかもしれない。そう思えてきた。何の根拠もなく無敵感が湧いてくるのが躁状態の特徴でもある。修了できた喜びも興奮も冷めやらぬうちに、大学院修了後から1か月ぐらい、米国公認会計士の最新事情について情報収集したのち、一念発起して、これが最後と思って、未来の可能性に賭けることにした。米国公認会計士については、どこかで決着をつけなければならない、と自分の中で思っていた。今なら、できるかもしれない、と思ったのである。

まず、一番最初にやったのは、学歴審査の申請だ。自分の出身大学にお願いして、英文の成績証明書・卒業証明書を取り寄せる。これを、NASBAの指定機関に国際郵便で郵送し、審査申請する。勉強を始める前に、先にこれをやる理由は、時間がかかるからだ。目的は、大学在籍時の履修科目を審査してもらい、米国公認会計士受験資格に必要となる、会計単位・ビジネス単位がいくつ不足しているかを知るためである。これに基づいて、資格学校で提携しているアメリカの大学で不足している単位を取得し、受験資格を満たす。受験資格がなければ、いつまでたっても受験できない。審査結果が数か月後に到着すると、ビジネス単位は十分あるが、会計単位は0だった。それもそのはず、私は社会人になって、ANJOインターナショナルに出会うまで、会計にも簿記にも、まったく縁がなかったのだ。もちろん、大学でも会計関連の科目など履修したことはなかった。

清水の舞台から飛び降りる

次は、資格学校の選定と申し込みだ。独学は事実上不可能だと分かっていたので、再々挑戦を検討していたころから、必ず資格学校を利用しようと決めていた。そして、期限をきってやろうと決めた。期限は3年。過去の2回の失敗の教訓から、モチベーションが続くのは3年が限度だったからだ。

検討の結果、資格学校大手のTACの米国公認会計士講座の通信講座を申し込むことにした。通学でもよかったが、通学コースは東京の渋谷校にしかなかったため、さすがに当時住んでいた大阪から通うことはできず、通信講座を選ぶよりほかに選択肢がなかった。それでも、すごいなと思ったのは、先週末渋谷で行われた講義が、10日後くらいには視聴できるような感じになっていて、教室で講義を受けているような臨場感を味わえたのである。

2012年の春、ゆうちょにあった、50万円の定額預金を中途解約し、約50万円の受講料をTACの銀行口座に振り込んだ。今回は、単科ではなく、合格までのすべてのカリキュラムが含まれているコースにした。この50万円は社会人1年目に初めて自分の給料を定額預金にして、以後ロールオーバーしていたものだった。人生の大事の時に使おうと思っていた。今がその時だと思って、清水の舞台から飛び降りる思いで支払った。

大金を前払いする恐怖よりも、ANJOインターナショナルの時に、戦力の逐次投入で失敗した教訓から、二度と同じ過ちを繰り返さないようにしたい、という思いが勝った。これで、もう、後には引けなくなった。もはや自分には、必ず米国公認会計士に合格して、ライセンスを取る、という選択肢しか残されていないのだ、とあらためて強く思った。

 

再々挑戦の日々・米国公認会計士取得までの道のり

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