就職氷河期の就職活動
私が、大学を卒業し、社会に出たのは1998年だった。そう、何を隠そう就職氷河期世代なのである。本当は、内部進学し、併設の大学院で修士まで取りたかった。しかし、冷静に考えると、2年後に就職があるかどうか分かったものではない、日本では院卒だと、一般企業は敬遠し、学卒よりもさらに就職条件は悪くなると言われていたからだ。4年生の4月ぐらいにその現実に気づいて、いったんやめていた就職活動を再開したが、資料請求しても返答が帰ってこない企業などざらにあった。始めたのが遅すぎたこともあり、先行きは不透明だった。手ごたえのある企業と連絡を取ることを続けながらも、学部の紹介がある企業も当たってみた。こちらは、選択の幅は狭まるが、この学部の学生なら、と企業側がいってくれているのもあって、例えば、1次面接の時期を、順番待ちの一番先頭に持ってきて、すぐに来てください、とかやってくれるので、ありがたかった。
地元企業で働きたい、と思っていたので、現在勤務している会社に応募したのだが、これも学部の紹介がある企業だった。連絡するとすぐ来てください、といわれ、すぐに訪問すると、応接室で簡単な説明と質問のやり取りがあった後、資料を渡され、一番早い説明会に入れますから来てください、と言われた。その後は驚くほど早かった。何が気に入られたのか分からないが、説明会兼筆記試験、1次面接、2次面接、最終面接と驚くほどとんとん拍子に進み、実質1ケ月半くらいで、内々定がでた。タイミングが良かったし、運もよかったのだ。
それとは別にもう1社、自分で資料請求して、説明会に参加し、順調に面接が進んでいた、大阪メトロ千日前線新深江駅が本社最寄り駅の、誰もが1度はその会社の製品を使ったことがあるだろうといっても過言ではない、某有名企業から内々定をもらう直前まで進んだ。当社に入社を決めるならこの場で内々定を出す、と言ってくれたが、返事を待ってもらい、その日は帰ってきた。帰ってきてから熟考するうちに、やはり地元で働きたいという気持ちがだんだんと強くなり、結局その申し出を辞退した。
学部紹介の企業から正式に内々定をいただいた後は、大学院へ進学してもっと勉強したい、という気持ちは次第に薄くなっていった。
米国公認会計士との出会い
入社1年目は、とにかく、100%仕事だった。休みの日以外はとにかく仕事を覚えて、こなす、ことだけをひたすら続けていた。レジャーや趣味や自己啓発などやっている余裕はない。新人はとにかく働くのだ。先輩や上司の指示を完全に遂行するだけで精いっぱい、帰ってくるとヘトヘトという状態が1年続いた。
丸1年たって、ようやく少しは、余裕が出てきた。すると、不思議と大学院へ進学してもっと勉強したい、という気持ちがわいてきた。大学院は現実的ではないにしても、もっと勉強したい、という気持ちがわいてきた。そんなとき、米国公認会計士、の資格専門学校の広告を目にしたのである。それが、私の米国公認会計士との最初の出会いだった。そこから、米国公認会計士のライセンス取得というゴールまで、実に15年という長い長い闘いになろうとは、想像だにしなかった。