過去の降格の古傷が痛みだした

初めて、過去の降格体験を語る

これから、過去に降格された体験を語ろうと思う。もう、7、8年も前のことだ。当時も誰にも話さなかった。30代前半に大阪に単身赴任した。経営統合のための、出身会社の既存業務を持って、統合先に引き継ぐ、というのが主任務だった。1年半かけて、ほぼ引き継ぎが終わったと、会社に報告したところ、同じくフロアの別のグループに異動となった。そのグループでは、主にグループ会社の経理全般、日々の会計処理から決算、税務まで、個々の会社によって受託範囲は異なれど、幅広い範囲を受託していた。その中に1社、規模は大きくないものの、いろいろとややこしい事業会社があった。誰も担当したがらない。そこでたまたま隣りのグループにいた私が呼ばれたのだ。

決算のこの部分だけ、税務申告のこの部分だけ、という業務の分担はあったが、1から10まで自分でという経験はなかったので、とても面白かった。なぜこんなに面白い仕事を誰も担当したがらないのか分からなかった。本当に面白かったので、朝早くから遅くまで、夜の残業も気にせず、仕事に打ち込んだ。すぐに業務を完全にマスターして、他のメンバーにも教えられるようにもなっていた。異動から2年もしないうちに昇格した。

昇格と同時に、現部署と兼務で新部署に異動となった。業務量が、2倍なのに全て自分でやらなければならない。次第に追い込まれていった。クライアントがあるので、クライアントには迷惑をかけられない。私は現部署の業務だけは完全にやり遂げて、新部署の仕事は放り投げることにした。現部署の業務が税務申告まで終わったあと、体調不良を理由に出社しないことにした。

ほどなく、会社から連絡があり、私は大阪から帰任したいと申し出た。その希望通り、仕事は選べなかったが、転勤前の生活拠点に戻ってくることができた。しかし、その半年後、何の説明もなく突然降格されたのである。

説明も一切なく突然降格

この降格には、明らかに意図がある。制裁の意味が込められているのだ。私は、体調不良の診断書を出して休んでいる。有給休暇を使っており、休職でもない。無断欠勤でもない限り制裁を受けるいわれはない。降格により、直前の昇格がチャラになってしまったわけだが、昇格は私が、大阪に来てから、負担の多い単身赴任生活を何とかコントロールしながら成し遂げた成果と、その能力を会社から認められたことによって、自分の力で勝ち取ったものだ。しかし、会社の上層部は、何の不利益を受けることもなく、まんまと帰任した私に対して、何らかの制裁を課したかったのだろう。しかし私自身は、あえてそうは考えず、会社は成果と能力を認めて一旦は昇格させたが、それが間違いだと後で分かったので降格させた、という理由で自分を納得させてきた。

ところが、私の成果と能力を認めたことは間違いだったので、会社は昇格をなかったことにした、という降格を正当化する根拠が、根底から覆る出来事が、最近、起こったのである。

 

100の努力より1の勇気

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