1回目の職場復帰が失敗に終わる
会社のはからいで、遅出して定時で残業なしで帰る短縮勤務で職場復帰できたが、職場復帰後も、全然ペースが掴めない。ゆっくりながらも身体が仕事のある生活に慣れていっているという実感もない。それどころか、集中力も続かない、身体も重い。
東京へ転勤になる前にいた職場に復帰させてもらった。職場は選べなかったが、結果的に配慮してもらった形だ。そんな配慮に感謝しなければならないような状況にもかかわらず、感謝どころか、職場の人には黙っていたが、出戻りで恥ずかしい、情けない、と常に自虐思考が頭の中をぐるぐる回っていた。それに加えて、周りの人からも、そう見られているのだろうと思うと、それが余計当時の自分を苦しめた。
短縮勤務を通常勤務に戻す見通しもつかないうちに、本来の勤務よりも、朝が遅いにもかかわらず、起きるのが辛い、仕事が終わっても解放感が感じられない、何を食べてもおいしくない、休みの日でも好きなこと(例えば旅行、映画とか)をやろうという気が起きない、前向きな考えが全く起きず、過去のことばかり考える、という毎日が続くようになった。
ある日の朝、この時間に起きないと間に合わない時間が来ているのが分かっていても、完全に布団から起き上がれなくなった。その日昼までに何とか声を振り絞って職場に電話して、今日からしばらく休みたいと伝えた。今日一日休めば済む問題ではないと直観的に感じていたからだ。
遅出の短縮勤務が全ての間違いの始まり
遅出だと、朝、身体が楽だろう、という会社のはからいだったが、大失敗だった。出勤するともう午前中の業務がほとんど終わっている。職場の同僚はひと仕事終えて、次の仕事へとペースを上げていけるところに、おはようございます、と出社するので、もともとディスアドバンテージのところに、さらに追い打ちをかけて遅れをとることになる。精神面でも、ただでさえ自己肯定感が低いのに、さらに低くなる。以前はこれぐらいのことバリバリできたのに、と過去と比較してしまう。そして、さらに自己肯定感が低くなる、という悪循環だ。
このように、過去にとらわれる、という罠にはまると最悪だ。自分で、自分の首を絞めて、苦しい、苦しい、といっているようなものだ。だからといって本人はそれに気づかない。刃物で首を切って血が出ていて苦しんでいるのであれば、周りの人もビックリして救急車を呼んでくれるだろうが、これは精神面の問題なので、自分が誰かに相談でもしない限り外から見えないので、自分で自分を苦しめて、長く苦しみ続けることになる。
ただ、解決策は意外にもシンプルだ。自分で自分の首を絞めている手を放せばいいのである。つまり、過去にとらわれている自分に気づき、過去にとらわれるのをやめればいいのである。
私は、あのとき完全に過去にとらわれていた。今は、過去にとらわれるのをやめることにした。かといって、すぐに過去にとらわれることをやめられたわけではない。今でも、あの時は過去にとらわれていたな、とか思うことがある。
でも、その度に、何度も自分に言い聞かせればいいのだと思う。過去にとらわれるな、今に感謝せよ、と。