単身赴任先で会社に行けなくなる

赴任後、メンタル不調、半年で帰任

数年前、定期異動で東京へ単身赴任となったが、約4か月でメンタル上の問題で会社に行けなくなった。最後の日、始業時間ギリギリに会社のフロアまでたどり着いたが、どうしても中に入れない。どうすることもできないまま、なぜか出勤のスキャンだけはして、そそくさと誰にも見つからないようにビルを出た。確か始業時間ピッタリでスキャンしたことをなぜか鮮明に覚えている。多分その日は出勤した、という証拠を残したかったのだと思う。しかし、後から勤怠実績をみたらその日から休み、にされていた。結局のところ、その日は職場に入ったが通常通り働いていないのだから、当然といえば当然だ。

つまり、人事の考え方では、いつから休んだかは、会社で通常の勤務ができなくなった日から、ということだ。すると、その裏返しで、復職の日は、会社で通常の勤務が再開できた日、ということになる。

でも実際はそうではない。私は退職を選ばず復職を目指したのだが、復職の日は、会社で通常の勤務が再開できた日ではない、ということを復職した後に思い知らされることになる。

このことは、詳しく後述するが、結論だけ先に言っておくと、本当の意味での復職の日は、会社で通常の勤務を約2年から3年続けることができたら、その時が本当の復職の日ということだ。脱線してしまったので話を戻そう。

会社を出た後、最寄り駅まで戻ると、駅前のビルの中の共有スペースのソファに座って一息ついた。これからどうしようか。もう精神的にも肉体的にも疲れ切ってしまい、このまま東京にはいたくない。ならば地元に帰ろうかと思って、実家の父親に電話すると、父親はすでに何年も前にリタイアしていたが、長いこと組織人をやっていたせいか、私にこう言った。

つらいと思うが、悪いことは言わんから、職場に顔を出して直接上司に会って伝えてから帰ってこい、と。

本当に嫌だったが、30分くらい躊躇した後、自分を奮い立たせて職場に行った。できるだけ平静を装って、朝は調子が悪くて遅くなっただけだというふうに黙って席に座り、周りをちらっと見た。上司がいればすぐに時間を取ってもらい、言うことだけ言って帰りたかったが、席を外しているようだった。代わりに、赴任後、一番よく仕事を教えてもらっていた先輩が、私が座るなりこう言った。

「遅れるなら、LINEでもいいから、ちゃんと言ってくれないとみんなが心配します。」

私は、このあと自分が、上司に「もう限界でこれ以上続けられませんから今日はそのことだけ伝えにきました。」などと切り出すことなどこれっぽっちも想像していないのだろうな、などと考えながら「はい、すいません。」と生返事をしたような気がする。もう、上の空だった。早くここから出たい、とだけ思っていた。しかし、その先輩以外だれも話しかけてこない。

私は急に冷静になって、その先輩にこそ謝らなければならない、あちらから話しかけられた今しかない、と思い、「いろいろご指導いただきありがとうございました。申し訳ありませんが、これ以上ついていけません。」というようなことを言って頭を下げた。直接顔を見て話すと本当に申し訳ないと思った。先輩から引き継いだ資料一式をその場でお返しした。

その瞬間、父親が、職場に行って会って伝えたほうがいい、といった意味がよく分かった。直接会って伝えるまでは自分のことだけを考えていた。職場の上司、同僚の気持ちを考える余裕は全くなかったが、直接会って伝えようとすると、迷惑をかけることを詫びたい気持ちも湧き上がってきた。なにより、黙って職場からいなくなれば、自分に対する印象はもっと悪くなっていたはずだ。

勝手に帰ったのがいけなかったのか?

 

上司のほうはというと1時間ぐらいして帰ってきたので、すぐにしばらく休みたいと伝えたが、じっくり話ができる状況ではなかったような記憶があって、深刻さがうまく伝わっていなかったようだ。何か体調が悪いぐらいにしか思われていなかったようだ。だから今日は早退する、ぐらいにしか思われていなかったのかもしれない。

そして、その後借り上げ社宅のマンションに戻って着替えて、整理をしてから、その日のうちに実家に帰ってきた。自宅ではなく実家に帰ることにしたのは、妻も私も共働きなので、突然のことで妻に迷惑をかけたくなかったからである。

その後実家で静養していたところ、上司から電話がかかってきた。1回目は何が原因だったのか、今どこにいるのか、一度会って話をしようなどといわれたが、もう地元に帰っていると答えると、東京にいないのなら会うのは無理だなと言われ、2回目はもう人事に話しさせてもらったからあとは人事から電話があるので対応よろしく、という事務的なものだった。

こうして当時の職場の上長と人事部の華麗な連携により、その1か月後には帰任の辞令が出て、表向きは秋の定期異動に伴う転勤組に紛れ込んで無事トラブルもなく社宅も引き払って帰ってくることができた。

ただ、その後も、東京にいないのなら会うのは無理だ、と言われたのが気になっていた。上司は管理者の責任ゆえ、私と会って話し合うつもりであったことは確かと思う。ただ、私がもう東京にいない、と聞いて手間が省けると思ったのではないか。

今だから思うのだが、仕事は休んで東京の社宅で静養するという手もあったのではないかと思う。そして上司から1回目の電話があったとき東京にいたら、会って話ができて伝えたいことが伝えられたら、状況を改善して働き続けることができたのではないかもしれない。しかし、自分が東京にいなかったことが決定的だったのだろう。

 

(上司)彼は話し合う間もなく勝手に地元へ帰りました、東京にいてくれれば、話し合うこともできたんですがねえ。

(人事)勝手に帰ったのですから、地元まで追いかける必要ありませんよ。管理者としての責任は十分果たしています。後は人事で引き受けます。

 

あくまで推測だが、こんなやり取りが、上司と人事の間で1回目の電話と2回目の電話の間にあったと考えると辻褄が合う。上司も人事も自分が東京から勝手に帰ったのだから、それが本人の意志だからさっさと帰任させて解決しよう、という見解で一致したのではないだろうか。

 

誰かに相談したか?

 

 

 

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