神の導きか、人生の急転直下

 

私は毎朝神社に参拝し、理想の人生を祈っていた。しかし、突然の降格で人生が一変。絶望の淵に立たされた私は、苦悩の末に気づいたのだ。この経験こそが、神様から与えられた人生の課題だったのだと。

 

目次

1.毎朝の神社参拝と突然の降格

2.絶望から学びへの転換

3.神様からの課題と人生の意味

 

1.毎朝の神社参拝と突然の降格

 

私は10年以上前、毎朝住吉神社に参拝していた。「どうぞ私を御心のままにお使いください」と、真摯な気持ちで祈り続けていた。

その頃の私は、人生の岐路に立っていた。多くの選択肢に恵まれながらも、どの道を進むべきか悩んでいたのだ。

しかし、神様の答えは思いもよらないものだった。ある日突然、会社で降格を言い渡されたのだ。

単身赴任先での仕事が合わず、パワハラに遭い、体調を崩して地元へ戻った。

そして挙げ句の果てに降格。私の人生は、まさに急転直下の展開を見せた。

降格の通知は突然で、何の説明もなかった。若かった私は、プライドが邪魔をして理由を聞くこともできなかった。頭が真っ白になり、恥ずかしさと戸惑いで何も考えられなくなった。

 

2.絶望から学びへの転換

 

降格後の数年間、私は悩みに悩み抜いた。人生の7、8割をこの降格の問題に費やした、と言っても過言ではない。当初は絶望感に打ちのめされ、密かに再度昇格できるように再起の機会をうかがっていた。

しかし、時が経つにつれ、この経験から思いがけず大切なことを学んでいることにも気づき始めた。

そもそも降格されて辛いのは他人の評価を気にしているからだ。つまり、他人から評価されたいからやる、褒められたいからやる、という姿勢だ。

でも、多くの場合、他人から評価されたり、褒められることは滅多にない。

他人から評価されたいからやる、ではなく、自分がやりたいからやる、という人生に変えないと、一生人の目を気にする人生を送ることになる。

そう考えると降格などたかが他人の評価、気にしなければ自分の人生に何の影響もない、ということに気づいた。

悩む中で、意図せずとも多くのことを学んでいたのだ。

そして、ふと思い至った。これこそが神の導きだったのではないか、と。

 

3.神様からの課題と人生の意味

 

今、振り返ってみると、私の祈りは決して間違っていなかった。むしろ、神様は私の祈りに応え、最も必要な経験を与えてくれたのだと感じる。

「私を御心のままにお使いください」という祈りに対し、神様は「よし、わかった。お前にはこの課題を与えよう」と応えられたのだ。

降格という試練は、私にとって大きな学びの機会となった。プライドを捨て、自分を見つめ直し、新たな可能性を探る。この過程で、私は思いもよらない成長を遂げることができたからだ。

新たな可能性とは、例えば今こうしてブログで降格や休職について発信できるのも、降格や休職を経験したからできることだといえよう。

あの辛い経験なくして降格や休職からの復活について他人にアドバイスなどできない。

そして今、私は確信している。神様が私に与えてくれたのは、単なる苦難ではなく、人生を豊かにするための貴重な課題だったのだと。この経験を通じて、私は自分の人生に対する見方を大きく変えることができた。

人生は自分で決めるものだ。しかし、時に思いもよらない出来事が起こる。その時、私たちにできることは、その経験から学び、成長することだけだ。私の降格の経験は、まさにそのことを教えてくれた。

あなたも人生で大きな挫折を経験しているかもしれない。でも、覚えておいてほしい。その経験は、あなたを成長させるための貴重な機会かもしれないのだ。今は辛くても、いつかその意味を理解できる日が来るはずだ。

私のこの壮絶にくだらない経験が、今、困難に直面しているあなたの心の支えになれば幸いだ。人生は予想外の展開の連続。でも、その一つ一つが、より豊かな人生への扉を開いてくれるのだと信じている。

降格人事を乗り越える方法

 

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