理不尽な扱いを受けたあと、腐ってしまう人もいれば、前向きな人生を送っている人もいる。
前向きな人生を送れるようになるにはどうしたらいいのか。そのヒントを、本記事では共有する。
その後の自分に起こった変化
2021年7月、2015年に受けた降格処分の理由の説明と、降格に際して降格理由の説明がされなかったことについての謝罪を正式に会社から受けた。事の経緯は、下記リンクの別記事をご覧いただきたい。
すぐに変化は起こらなかったが、数カ月ぐらいして、「あの時ああすればよかった」とか「あの時どうしてこうしなかったのだろう」と、よく当時のことを思い返したりしていたのだが、なぜかそう思うことがなくなった。
理由の一つとして、人事担当者が、降格にあたって何の理由の説明もしなかったことを会社として謝罪してくれたことがあると思う。
謝罪して、元に戻してくれるなら納得がいくのに、とその時は思った。だが、別に謝罪してほしいとも思っていなかったのに、降格理由の説明に加えて、謝罪までしてもらったのだから、もうこれ以上要求しても仕方ないと思った。
私は、その後、別件でその担当者と会った時に、「数年後になったものの、ああやって降格理由の説明の場を設けてもらってありがたかった。その後もう「あの時ああすればよかった」とか思わなくなりました。ありがとうございました。」と謝意を伝えた。
だが、それよりも何よりも最も大きな理由は、私のこの会社に認められたい、という思いがゼロになったからだ。
包括的なランク付けの無意味さを知り、それを受け入れる
YouTuberとして日々情報発信されている、失敗小僧先生は、ある動画で「総合的な序列の無意味さ」について語っておられる。
動画制作の背景にあったのは、メンタルが強くなるにはどうしたらいいのか、という課題に対する動画だったのだが、降格問題で悩んでいた身としては、別の視点からみて、あっこれだ、と唸るような内容だった。
その結論(一部)は、「総合的な序列の無意味さ(に気づき、それ)を受け入れる」ことが、メンタルが強くなる一つの方法だ、というものである。
なぜかといえば、星の数ほどある人間の評価基準を総合的な序列でくくるのは無意味だから。
子供の頃や学生の頃は、評価基準が成績や、出身校といったバクっとしたものしかない。それが社会に出ると、評価基準がものすごく多くて、総合的にあなたはこの序列、ランク、と決めつけることが無意味になってくる。
それを総合的な序列で決められると考える人は学生レベルのガキ、とまで言い切っておられる。
私は、降格理由を聞いたとき、一瞬
はあ?
と思った。
そう。それほどまでに、会社の職位ランクのような総合的なランク付けは無意味で、あいまいで、もろいものなのだ。
「会社から与えられた肩書」は、まさに失敗小僧先生が無意味である、と喝破された「総合的な序列」にほかならない。
私は、会社から与えられた、無意味な総合的な序列にこだわっていたのである。
私は子供だったな、と思った。
ようやくそのことにも気づいた。でもそれに気づいても、すぐには受け入れることはできなかった。それができるようになるまで、降格理由の開示を受けてから約1年かかった。
でも、今はもう、総合的な序列の無意味さを受け入れることができている。
自分の人生を生きる
もし、あなたが自分の人生を生きる、ということを望むなら、次の3つの悪癖を努力してやめる、ことを強くおすすめする。
- 他人と比較しない。
- 他人の評価を気にしない。
- 他人に期待しない。
降格されてプライドが・・・、といっているうちは、まず、他人(会社)に期待している。他人は、自分の思惑通りには絶対に動かないから、この時点で望み薄だ。さらに、自分はこのランクにはふさわしくない、もっとふさわしいランクに格付けしてほしいと、期待している。
この時点で、文字通り、もっと高く評価されたい、と思っている。つまり、他人(会社)の評価を気にしている。
他人に気に入られようとして逆に嫌われる例は枚挙にいとまがないし、うまくいかないことなど過去の経験でご自分でもよくお分かりだろう。
厳しいことを敢えて言おう。降格されるとプライドが傷つけられるのはなぜか。
それは、同僚や、同期、先輩・後輩、取引先、同級生、などと、無意識のうちに比較しているからだ。誰それと比べて自分はダメだ、とか、誰それと比べればまだましな方だ、とか。
比較など無意味だとわかっていても、つい他人と比較してしまう。だから、意識して他人と比較するという悪癖も努力してやめなければならない、ということに気づいた。
では、なぜこの3つの悪癖をやめなければならないのか。それは、周囲と自分を比較し、他人の評価を気にして、誰かに何かしてもらおうと期待しているうちは、いつまでたっても自分に自信が持てず、死ぬまでずーっと他人の人生(他人に期待に応え続ける人生)を生きていくということを意味するからだ。
そして、死ぬ間際になってようやく気づくのだ。自分は自分の人生を生きてこなかったと。もっと早く気づけばよかったと。
毎日、上記3つの事項を呪文のように唱えよう。毎日欠かさずだ。
この3つの悪癖が自分の体と精神から抜け出すまでやり続ける。
今回の人事考課はよくなかった、自分は認められていないなあ、と思えば、「ああ、まだ他人(会社)の評価を気にしているぞ」と言い聞かせる。
仕事中、誰かの目が気になると、「あ、今、自分は他人と比較した、他人と比較しないぞ」と言い聞かせる。
「なんで詳しい自分に聞いてくれないんだ」と思うと、「あ、今、自分は他人に期待した。ダメだダメだ。他人になんか期待しないぞ」といった具合に。
必ずや、他人と比較しない、他人の評価を気にしない、他人に期待しない人生を実現して、自信をもって自分の人生を歩もう。
私の場合は、今後進むべき方向性に、図らずも「降格の事実も告げられず、降格の理由も告げられずに知らないうちにコッソリ降格されていた」という過去のネガティブな経験が気づかせてくれた。
この経験がなければ、一生このことに気づかずに人生を終えていただろう。降格された経験は、間違いなく私の人生を好転させた。
あなたも、あなたが受けた理不尽な経験が、そのことに気づかせてくれることだろう。
怒り、憎しみを建設的なエネルギーにかえる
でも、これで終わってはもったいない。自己成長することを諦める必要はない。
怒り、憎しみを、建設的なエネルギーにかえるのだ。
YouTuberとして、仏教に学ぶ幸福論を情報発信されている、菊谷隆太先生は、ある動画で「理不尽な仕打ちへの対応法」について語っておられる。
理不尽な仕打ちは耐え難いが、それを建設的なエネルギーに替えることが重要だと説いておられる。なぜなら、理不尽な仕打ちをしたほうよりも、それに怒りや苦しみを感じている自分自身の方が自分を苦しめているからだ。
このようなことが二度と起こらないようにするために、何が自分にできるのか、自問自答し、自分ができることをせよ、とおっしゃる。
台湾のデジタル大臣、オードリー・タン氏の名言をひいて、「理不尽な経験は、あなたが社会全体をより良いものに変えていく運動へ参加するための招待状である」とまでおっしゃっている。
自問自答の結果が以下の通り。
前述のような、今後はやらないこと、ではなく、逆に、これをやろう、これが今自分ができることだ、と考えたのが、
- 自信を持って堂々としていよう、昨日より少し鈍感になろう。
- しっかりと自分を主張して、損な役回りを引き受けないようにしよう。
- 楽しいことや楽しい予定で頭の中をイッパイにしよう。
自信を持つための基本は、先に述べたように、他人と比較しない、他人の評価を気にしない、他人に期待しないの3カ条であるが、それに加えて、怒り、憎しみを建設的なエネルギーに変えるコツが、次の3つだ。
1.自信を持って堂々としていよう、昨日より少し鈍感になろう。
その上で、自分の好き、得意、大事に思っていることを何でもいい、何かを毎日継続していると段々自信がついてくるのだ。
自然に自信が湧いてくるのではない。経験して練習して実績が上がり認められて段々自信がついてくるのだ。
私の場合、何をやろうか?と考えてすぐに浮かんだのが英語だった。
すぐに、30年前から信頼して使っている英語教材スーパーエルマーのスピーキング用教材、SIMスーパースピーキングを取り寄せて学習を開始した。
同時に実際にアウトプットの機会を作るため、トーストマスターズクラブに入会した。
毎月必ず英語のアウトプット学習ができる。貴重な機会だ。そのために、毎日英語教材を手に取る。モチベーションが維持でき継続できる仕組みを作った。
1年続けた後、「自信を持ってスピーチしている」と言ってもらえたり、「よく挑戦している」というコメントを他のメンバーの方から個人的にもらえたりして、本当に自信が出てきた。
何でもいいから、1つでもいいから、毎日継続していると、それが自信につながる、ということを実感した。
2.しっかりと自分を主張して、損な役回りを引き受けないようにしよう。
自分を主張する、とはそれほどたいそうなことではなくて、何か聞かれたら、どっちでもいいと思わず、自分の意見を言うことにする、ということだ。意見を言うことはアウトプットであり、アウトプットすると、必ず自己成長する。
さらに、副次的な効果としては、こういう場で意見を言うと、「あの人は意外とハッキリ言うな」と一目置かれるようになるということだ。私などは、最近は、そういう場では必ず一家言あると周囲に知られてしまっていて、あえて、他の人に「何か意見ないですか」とふられてしまい、当ててもらえないといった有様だ。
そうなるとしめたものだ。「あの人に頼みたいけど、あーだこーだグダグダ文句言われるな」と避けられるので、何かやらせようとたくらんでいる奴は、自然と自分を避けるようになる。これこそが、「しっかりと自分を主張して、損な役回りを引き受けない」の極意だ。自分しかできないこと以外、できなければはっきりと断ればいいのだ。これも、「他人の評価を気にしない」からこそできることだ。
3.楽しいことや楽しい予定で頭の中をイッパイにしよう。
ネガティブな考えや妄想が浮かぶのは仕方ない。それを忘れよう、考えないようにしよう、と努力するよりも、頭の中を楽しいことでイッパイにすると、ネガティブな考えが占める領域は狭まり、ネガティブな考えあっても次第に感じなくなる、ということが分かってきた。
私の頭の中は、今、楽しいこと、楽しい予定でイッパイだ。
私は、復職継続5年達成となる2024年にイギリスのエディンバラ、セントアンドリュースに行くことを決めた。
そして、その時のために、JALの上級会員になっておこうと思い、JGC修行をすることにした。
JGC修行は2021年9月に決意して、2022年4月から実際に始めた。それ以来、ずっと毎日の飛行機旅のことを考えている。
頭の中が楽しいことでイッパイで、憂鬱なことやネガティブなことを考える暇がない。
仕事以外の時間が、楽しいことや楽しい予定でイッパイだと、不思議なことに仕事では逆に仕事に集中できるようになった。
すると、最低限の時間で、称賛されるような成果をあげて、残業なしで帰るようになった。そのお蔭で十分な休息がとれて、毎日朝起きて仕事に行くのが楽しい、といういままでの人生では考えられないようなことが今起こっている。
本当の意味で強くなるにはどうすればいいか
40代からの恋愛・婚活のプロとして有用な情報を発信しておられるYouTuberゆり先生は、優しい男性と強い男性、どちらがモテるかと問い、断然強い男性がモテる、と断言しておられる。
でも、強い人になるのは別に難しいことではなく、本当に強い人とはスルースキルを発揮できる人であると指摘しておられる。
スルースキルが身について、それが発揮されると恋愛だけでなく、人生も生きやすくなるとおっしゃっている。
私は、動画視聴後、即座にこれだ、と思った。
今まで何冊もメンタル関係の本を読んで、再発防止のためどうしたらいいか集めてきた知識、情報が、この動画で化学反応をおこし、まるでイナズマが田畑に落ちて、地中の窒素とリンと反応して豊かな土壌を醸成するような感覚があった。
本当に必要なのはこれだ、と確信した。
それからというもの、私は、目の前の事象にとらわれて精神が不安定になる前に、次のようなルーチンを行うことにしている。
1.メタ認知
社会全体の一部として、今の状況を一段上から見下ろすような感覚で見直す
2.ラベリング
例えば、いま自分は人と比較したな、とかいうように自分で自分を客観視する
3.自分のペースを乱さない
そうすると、他人から見ると自分は状況に堂々としていて強く見える
4.スルースキルを発動
これがスルースキルを発動できている状態だ。
これを繰り返すだけで、少しづつ強くなることができ、生きやすくなっていくのだ。
スルースキルとは
見えている、聞こえていることに動じない力
である。
いま私はスルースキルを少しづつ身につけ、以前の自分と比べて格段にしなやかにそして強くなった。本当にそう実感する。
私は、今、心から降格されたという過去のネガティブな経験に感謝したい。なぜなら、この経験がなければ、「総合的な序列の無意味さ」にも、「怒り、憎しみを建設的なエネルギーに変えることが、幸せな人生へと変えていく原動力になること」にも、「スルースキルをいつでも息を吐くように自然に発動できていることが本当の強さ」であることにも気づかなかったからだ。
だから、本当にこう思っている。
降格してくれてありがとう、今、私は、本当に幸せです
認められていない自分でもよし
今、私は頑張るよりも力を抜いて、気にしない生き方をしている。自分の力を誇示しなくてもいいし、人と比べる必要もない。認められていない自分でもいい。
会社が自分を認めてくれるか、認めてくれないか、は自分では決められない。同じように、あの人が自分のことを気に入ってくれるか、気に入ってくれないかは、あの人が決めることであって、自分ではどうしようもない。
頑張るよりも力を抜く。認められたい、認められていない、なんてどうだっていいことだ。気にしない生き方、これからはスルーする力が大事だ。
頑張るよりも力を抜いて、せいぜい大したことない自分を生きればいい。
そのことに気づかせてくれたのが、ある本だった。
もう、降格がなんだのと考える必要もない。所詮、大したことない自分なのだ。
本当の自分、大事な自分、価値ある自分、役立つ自分からは降りればよい。