あなたは、会社や組織で降格された経験をお持ちだろうか。
自分は納得していないが、ある日突然降格されて悩んでいる。
そんな経験でつらい思いをお持ちの方に、本記事は参考にしていただけると思う。
降格され、恥ずかしい
私は2015年に降格された。それから6年以上も、降格されたというネガティブな感情に悩まされてきた。2021年に思い切って会社に過去の降格の理由の開示を請求して、降格理由の開示を受けた。
その結果、降格された、というネガティブな感情をいつまでも引きずっていたのは、自分自身が、会社から「与えられた」肩書に、自分のプライドを一致させていたから、という結論に行き着いた。
だから、
結論からいうと、降格された、というネガティブな経験から解放される唯一の方法は、
会社から「与えられた」肩書に、自分のプライドを一致させないようにする、
ということだ。
会社に過去の降格理由の開示を請求し、示された降格理由は、ここで記述する価値もないほど、壮絶にくだらないものだった。そんなくだらない理由で、会社から「与えられた」肩書は奪われるのか、と愕然とした。
私は、会社から「与えられた」肩書は、組織改編や人事異動でたやすく奪われるような、もろいものであった、という事実に、この時初めて気付かされた。
私の気づきに、重要な役割を果たしたのが、澤円先生の著書「疑うから始める」である。
誰かに与えられたものはいつか奪われる、自分で作り上げたものは誰にも奪われない
この「与えられた」というところがポイントだ。
私は、会社から「与えられた」肩書は、異動や組織改編で簡単に奪われる、ということを身をもって経験した。
では、これからはどうするか。
澤円先生は、こんな生き方をアドバイスされている。肩書に自分のプライドを重ねるのはカッコ悪い生き方。カッコいい生き方は、「自分のプライドを自分で作り出す生き方」とおっしゃっている。
私も、会社から「与えられた」肩書に自分のプライドを重ねるのはやめて、自分で自分のプライドを作ることを決意した。自分で作り上げたものは、簡単になくなることはない。
いや、もう既に自分のプライドを自分で作っている。私は既に投資家であり、ブロガーである。どちらも自分で作り上げたプライドだ。
私は、投資歴20年以上の投資家で、手取り収入の約3割は投資による収入だ。さらに、駆け出しではあるが、こうしてブログを運営している。
ブログからの収入は今は雀の涙ほどだが、いずれは投資からの収入に匹敵するぐらいにしたいと思っている。
投資家というアイデンティティも、ブロガーというアイデンティティも、会社に「与えられた」ものではない。だから、退職や異動、組織改編でたやすく奪われるような、もろいものではない。
そう思うようになってから、過去の降格について次第に思い悩むことがなくなった。6年以上も思い悩んでいたことが、最初から何事もなかったかのように心が穏やかになった。会社から「与えられた」肩書に、自分のプライドを一致させていた自分にようやく気付いたからだ。
いまでも時折、職場や日常生活で、ふと心がざわつくこともあるが、そういう時は、
「あっ、また自分は、会社から「与えられた」肩書に、自分のプライドを一致させているぞ」
と、気づくようにしている。気づくだけでいい。他に何の感情も入れず、ただ「会社から「与えられた」肩書に、自分のプライドを一致させている」自分に気づくだけ。
それを何回も何回も繰り返しているうちに、次第にネガティブな感情が起きないようになってくる。こうして私は、過去のネガティブな経験を乗り越えることができた。
会社から「与えられた」いつなくなるともしれない肩書という、もろいものに自分のプライドを重ねていたため、降格を機に肩書が奪われると同時に、自分のプライドやアイデンティティも一緒に吹き飛んだのだ。それでプライドやアイデンティティの喪失に長い間苦しむことになった。
会社から「与えられた」肩書に自分のプライドを重ねていたために、降格によって、プライドやアイデンティティの喪失を引き起こし、長い間苦しみを味わったことは、まさに自業自得であった。
私の降格理由(実体験)を語ろう
ここまで、長文を読んでくださった方の中には、引っかかる点が1つあるのではないかと思う。それは、「それで、お前の降格の理由はなんだったんだ」ということだろう。
会社に過去の降格理由の開示を請求し、示された降格理由は記述する価値もないほど、壮絶にくだらないものだった、と書いたが、本当にくだらないので、それをご承知の上で興味のある方は先をお読みいただきたい。
現人事担当者から、過去の降格理由の説明を受けるにあたって、当時、降格の通知と降格理由の説明がされなかったことに対し、会社として公式に謝罪があった。
これは驚きだった。当時の人事担当者にも事実確認をしたことは明らかだった。なぜそんなことを覚えているかといえば、イレギュラーな事案だったからだろう。
降格の事実を告げず、降格の理由も告げずにコッソリ降格するなど普通はありえないからだ。
人事のプロフェッショナルであれば、降格人事が労使間でトラブルになりやすく、繊細に扱わなければならない問題であることは百も承知だ。
降格人事を行う際、対象者が納得するかしないかは別にして、降格理由の説明が重要であることを、人事担当者が知らないはずはない。
開示された降格理由は次のようなものだった。当時、私の所属していた組織は3拠点体制だった。私は元々B地区にいたがA地区に転勤していた。
数年後、再びA地区からB地区に転勤し、少し間を置いてから、正式配属されるタイミングで、いきなり何の通知も説明もなく降格されたのだ。
現人事担当者曰く、当時A地区はグレード7(仮称)が一般職最高ランクとすると、B地区では一般職の最高ランクがグレード5だったと。だからA地区でグレード7だった私は「制度上の理由」で、B地区に正式配属されるタイミングでグレード5に降格された、という説明だった。
はぁ〜??
思わず私は尋ねた。「じゃあ、能力がない、実績が足りないから降格されたのではないのですか」と。即座に「そうです」という答えが帰ってきた。
私は全身の力が抜けていくのを感じた。「制度上の理由」という言い訳はさすがに想定外だった。想像もしなかった。
「そういうことか」
面談後、少し落ち着きを取り戻してから私は確信した。
「能力がない、実績が足りない、とはいいきれないので、降格させられないが、それでも何とかして私を降格させて、屈辱を与えてやりたい」と考え、それを人事担当者に指示した人物がいた、ということだ。
指示を受けた人事担当者はすぐに気づいたのだろう。公にはなっていない、地区ごとに違うグレードランク上限の規定を持ち出せば、恣意的な降格を「制度上の理由」による降格にロンダリングできる。
つまり、「何が何でもコイツを降格させてやる」という執拗な意志が先にあって、理由はあと付けだったのだ。
なぜそう言い切れるのか?
降格の事実を告げず、降格の理由も告げずに降格処分を行った、という紛れもない事実が動かぬ証拠だ。頼んでもいないのに会社側から、降格の事実も降格の理由も告げなかったことに対する謝罪があったこともそれを裏付ける。
オーナー社長のワンマン会社ならいざしらず、世の中のどこに降格の事実を告げず理由も告げずに降格処分を行う上場大企業のグループ会社があるか。
何度もいうが、人事担当者は幼稚園児ではない。新入社員ではない。素人ではない。人事のプロフェッショナルである。
降格の事実を告げず、降格の理由も告げずにコッソリ降格処分を行うことが、どれほどリスクの高いことなのか人事担当者であれば知らないなどということは100%ない。
私と対面して、自身の口から降格の事実と理由を告げる勇気がなかったのだろう。常に後ろめたさを感じており、理由もあとづけのウソなので、直接告げずに済ませたかったのだ。
これが正当な降格理由だったのなら、私に逆恨みされようが堂々と向き合って、降格の事実の通知と降格理由の説明ができたはずだ。後々になって火種になるような問題を残さなかったはずだ。(実際に6年後に発火した)
そのくせ、もし私が聞いてきたら答えられるように、「制度上の理由」による降格、という降格理由の用意だけはしてあったのだ。
この卑怯者めが。
それなのに私は、降格されてからも、会社に実力や能力、実績を認めてもらおうと努力してきたのだから、バカ正直もいいところだ。
この瞬間から、私の「この会社に認められたい」という思いはゼロになった。より正確に書くと、この瞬間ゼロになったのではなく、この瞬間から徐々にゼロに向かって下降し始め、約半年ぐらいたった頃にゼロになった、というのが正しい。いまは、本当にゼロになっている。おそらく、元に戻ることはもうない。
「制度上の理由」で降格された、ということをもっと早くに知っていたら、無理な挑戦や、無駄な努力はしなかっただろう。
降格を挽回しようとして、単身赴任で再び転勤しようとも思わなかっただろう。そして、単身赴任先で会社にいけなくなることもなかっただろう。
実際のところ、これはハラスメント、制裁、嫌がらせの類であったと私は思う。
しかし、今回、会社の公式見解として開示されたものは、たとえそれが虚偽であったとしても、納得できないものであっても、今後はこれが事実となる。
私は会社が開示した「制度上の理由」による降格、を受け入れることにした。そして同時に、「この会社に認められたい」という思いもゼロになった。
そうして、ようやく私は心が安らかになり、前を向いて再び歩き出すことができたのである。
もうこれ以上、この問題で心の平穏を乱されたくない。だから、今後私からこの問題について異議を申し入れることは絶対にない。
認められたいと思わなくなると景色が変わる
「この会社に認められたい」という思いがゼロになると、「あの時こうすればよかった」とか「あれがダメだった」とか全く思わなくなるから不思議だ。
あなたが、降格によって尊厳を傷つけられ、自責の念にさいなまれ苦しんでいるのに、会社から納得がいく説明を受けられずに苦しんでおられるのなら、一度、目をつむって、
「私の、この会社に認められたい、という思いはゼロになった」と数回唱えてみてほしい。
騙されたと思って一度やっていただきたい。自責の念が襲いかかってくるたびに、
「私の、この会社に認められたい、という思いはゼロになった」
と繰り返し、繰り返し、言い聞かせ続けてみてほしい。
認められたいと思わないことのスゴさを感じることができるだろう。
さらに、会社が「制度上の理由」だから降格は正当だ、といい張るのであれば、それを逆手に取ればいい。
「制度上の理由」による降格として、もっともよく知られているが、役職定年である。役職定年というくらいだから、「制度上の理由」による降格そのものである。
昨日まで「部長」といわれていた人が、今日からいきなり一般社員に降格されるという、アレである。
能力がない、実績がないからではなく
「制度上の理由」
で、例えば、55歳になった日を境に無条件で降格されるのだ。
そうか、自分は他の人より20年くらい早く役職定年を適用されたのだ。
そう思えばいいのだ、と降格理由の開示から半年以上経って思うようになった。
日本では、降格はそれこそ役職定年のような規定や、懲戒事由でもない限りたやすくはできない。
今回、会社に降格理由の開示請求をする前に、私自身が最寄りの労基に電話したところ、労働相談窓口の人が、教えてくれた。「一般的に」とことわった上で、
「降格に異議を唱えるなら告げられてからできるだけ早く、せいぜい1週間以内。そうでないと、降格の事実を覆すことは不可能。但し、降格の理由を告げられていなければ、何年経っていても、降格理由の開示を請求できる、それは労働者の権利」ということだった。
それを聞いて私は思った。
会社は、たとえ降格理由があとで作り上げられたもっともらしいウソであっても、開示請求すれば必ず降格理由を開示し、説明するだろうと。
なぜなら降格理由を説明できなければ、理由なく降格したと認めてしまうことになるからだ。理由や事前の取り決めもなく降格降給することは法律違反なので、人事の大チョンボになる。
私が、突然、数年前の降格理由の開示請求をしたことで、会社は慌てたことだろう。ただ、人事データベースから必ず降格に至る経緯はたどれたはずだ。そして、聞かれたら答えられるように用意してあった「制度上の理由」による降格、という降格理由にたどり着くのは意外に容易だったはずだ。
それに加えて、現在の人事担当者は、当時関わった人々にも聞き取りした、と言っていた。現在の人事担当者は何も関わっていない時の事案なのに、お手数おかけしてしまい、申し訳ないと思っている。
しかし、降格の事実を告げず、降格の理由も告げず、降格して知らんぷりしていたのは会社であり、当時の人事担当責任者である。何年経っていたとしても、降格の事実や理由を告げなかった責任を免れることはできないのである。
これは、恥ずかしい私の経験である。すべて実体験である。降格人事に悩まされている人で、もし会社から降格の事実や降格の理由を正式に告げられていない人がいたら、会社に降格理由を含めて、説明の場を要求することをお勧めする。
会社は必ず降格の事実と理由を従業員に説明する義務があり、説明を受ける権利が労働者にはある。
その際は、組合の専従など信頼できる第三者に同席してもらうことを強くおすすめする。私も先に組合に相談してから人事に連絡した。説明にも同席してもらった。会社もいい加減な対応はできなくなり、後々、会社発言の証人になってもらうこともできる。
かなりの時間を経て、会社から降格の事実と理由の説明を受け、降格の通知と理由の説明をしなかったことについて、会社から正式に謝罪を受けることができた。
会社員として会社に雇われている以上、労働者はどうしても会社より立場が弱い。会社は「常識」と称して理不尽な要求や強制をしてくることもある。今後も会社から理不尽な仕打ちを受ける可能性は十分ある。それらに賢く対処していくためには、常識を疑う習慣を身につける方法を学ぶのが一番のオススメ。
私が受けた今回の「降格の事実も告げず、降格の理由も告げず降格する」という理不尽な仕打ちを乗り越えるキッカケを与えてくれた本は、前述のとおり澤円著「疑うからはじめる。」だ。
サッと読めて実用的、目からウロコ、自分がいかに刷り込まれた常識に縛られて苦しめられているかに気づかされることだろう。読んだその日から目の前に昨日とは違う新しい世界が広がってすがすがしい気持ちになる。別に今現在、会社に対してモヤモヤを抱えていない人でも読んでおいて損はない。