パワハラを受けた経験

年功序列の弊害は意外なところに

元マイクロソフト、「疑うから始める。」の著者、澤円先生は、その著書のなかで、ハラスメントは、人を導く資格のない者がマネージャーやリーダーになることで起こる、と喝破されている。

そして、日本の職場で起こるハラスメントにありがちな傾向として、「女性に活躍の場が用意されていなかったり、若いというだけで無能な上司に圧力をかけられるといったことがまかりとおってきた」。それらのハラスメントを生じさせる土壌は、男尊女卑と年功序列が制度的に長く保障されてきたことにある、と指摘されている。

私は、その通りだと思った。これは、実際にハラスメントを経験した人だからこそできる鋭い指摘だ。

私は、20代、30代のこれからの世代でハラスメントに悩んでいる人に伝えたい。ハラスメントを受けたら自分が悪いと思ってしまうが、それは違う、と。それはハラスメントをする人の自分に対する嫉妬なのだ、と。

パワハラを受けた経験

30代の頃、朝のミーティングで、仕事で抱えていること、困っていることを思い切ってその場で抱えていることを打ち明け相談した。

ところが、同じミーティングに参加していた、その仕事とは直接関係のない部長から、「そんな自分の仕事のことこの場所で話すな!」と全員の前で、大声で罵倒された。周囲の人がシーンとなってしまうようなほどの怒鳴り声で。

締め切りもある重要な仕事が進まずにあせっていたので、切羽詰って、すがるような気持ちで勇気を出して打ち明けたのだが、解決に向けたアドバイスを得られるどころか、全員の前で怒鳴られ、頭が真っ白になってしまい、そのあとのことを覚えていない。

しばらくしてから、当時の上司が、「あの人はああいう言い方しかできへん人や、と思えばいい」とフォローしてくださったことだけは、鮮明に覚えている。

でも指導であれば、「自分の詳細な仕事のことなら、あとで○○さんに相談しなさい。この場では控えなさい。」で十分だったのでは? →指導のレベルを超えた過剰な不適切な言動。

なぜ、仕事のことで真剣に悩んで助けを求めているのに、怒鳴られなければならないのか。直属の上司からのフォローは有難かったが、それでも、要は自分が間違っている、我慢しろ、といわれているように感じ、二重に理不尽な思いをした。

今回の例のように、「こんないいかたしかできへん人やから仕方ないと思え」などと、嫌な思いをしたほうが我慢すべき問題として、嫌な思いをさせたほうにある問題をうやむやにしてきたことが、澤円先生が指摘されている通り、若いというだけで無能な上司に圧力をかけられるといったことがまかりとおってきた原因だと、私は思う。

あの時こんなを助言を受けたかった

澤円先生は、ハラスメントへの対処のためにどんな助言をされているか。

ハラスメントに我慢する必要はまったくない、人生をすり減らさないように、と仰っている。もし反撃できる仕組みがあれば徹底的に利用する、ないなら逃げる。ハラスメントに我慢する価値などない。

ハラスメントに我慢する必要はまったくない。本当にその通りだ。あの時私もこんなアドバイスを受けたかった。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA