日大アメフト部の危険タックル問題と紀州のドンファンの不審死が話題になっていた頃が人生最悪だった

2つの話題が繰り返し、交互に報道されていたのは確か2018年5月頃のことだ

先日、紀州のドンファンの不審死、をめぐって容疑者が逮捕されたとの報道に接した。一瞬、メディアがざわついたが、今はまた、報道番組はみな新型コロナ変異ウイルスのことで一杯で、すぐにほとんど触れられなくなってしまった。

紀州のドンファンの不審死がメディアで連日のように取り上げられていたのは、今からちょうど3年前のことだと記憶している。合わせて記憶に残っているのは日大アメフト部員が起こした危険タックル問題だ。3年前の今頃、この二つの話題が、メディアで繰り返し取り上げられていた。

なぜそんなことを詳しく記憶しているかというと、その頃、私は職場復帰後、2カ月で再休職し、毎日午後自宅で、テレビの情報番組を見ていたからである。あれから、3年経った。あの頃には絶対に戻りたくない。また、戻るようなことがあってはならない。だから、紀州のドンファンの不審死、をめぐって容疑者が逮捕された、と聞いたとき、私はすぐに3年前の自分のことを思い出したのだ。

あの頃、私は、「~でもよければ副院長先生」に精神科専門病院に入院することを勧められていた。今から思えば、あの頃がちょうど休職してから一番調子が悪かった頃だ。調子が悪いどん底で、精神科専門病院関連のドタバタの記憶以外がポカっと抜け落ちている。にもかかわらず、不思議なことに、究極の他人事ともいえる、日大アメフト部危険タックル問題と紀州のドンファンの不審死、のことだけが鮮明に記憶に残っている。

朝、決まった時間に起きる、朝ごはんを食べる、1日1万歩歩く、たったそんなことが人生再出発の第一歩

「~でもよければ副院長先生」に言われた、朝、決まった時間に起きる、朝ごはんを食べる、1日1万歩歩く、は何とか死守した。再休職し、昼ぐらいまでずっと寝ていた時期はあったが、この頃になれば、それは別にハードルが高い目標ではなかった。朝、どこかへ出かけて何かしなければならないわけではなく、とにかく、時間が来たら寝床から起きあがるだけだ。朝食もバナナを1本食べれば何か食べたことになる。そして、人目が気になる日中はテレビを見るか、パソコンで何か検索するかして時間をつぶし、夕方になって、気分が落ち着いて、家にいるのが退屈になってきた頃を見計らって、図書館まで片道30分~40分くらいの道のりを歩く。それを毎日続けるだけ。何も難しいことはない。

それを2カ月ぐらい続けたころだろうか、散歩の途中で、公園に立ち寄ったとき、何とも言えないすがすがしい気分になった。こんな気分になったのは何か月いや何年ぶりだろうか、というような心穏やかな感覚だった。生活リズムを整えることは確かに人間が生きていくうえで、根本的に重要なことなのだ。その時は分からなかったが、今はそう思う。専門家の知見は、できれば聞き入れて実行してみるものである。

ただ、朝、決まった時間に起きる、朝ごはんを食べる、1日1万歩歩く、をずっとやっていても、職場に再度復帰できる道筋はついていなかった。これは、生活リズムを整える最低限の日課に過ぎなかった。まだ、毎月「~でもよければ副院長先生」に診断書を書いてもらい、会社に郵送するということを続けていた。会社に診断書を郵送するたびに先々のことを不安に思うようになった。でも、どのように次の段階に進んだらいいのか、まったく白紙だった。