他人は何もしてくれん、自分が何とかせないかん

本心では自分が双極性障害だとは認めたくなかった

単身赴任先の東京で体調を崩して休職し、半年後復職したが、2カ月でまた休職することになった私は、その時初めて、休職・復職を繰り返す、恐ろしいループに吸い込まれようとしているというヤバさにようやく気づいた。ふっと後ろを向いたら、地獄の底がパかッと口を開けて待っていた。初めて、地獄を見た感じがしてうす気味悪かったのを覚えている。

「~でもよければ副院長先生」にも、休職して、無理して復職して、また休職して、そうやって、会社に行けなくなる(退職を余儀なくされる)人が多いんです、と言われた。「~でもよければ副院長先生」をキレさせて、もうどこでも行ってください、と言われた私は、入院施設も備わった本当の精神科専門病院を紹介された。「~でもよければ副院長先生」がなぜキレたかといえば、私が病気に対して真剣に向き合っていなかったからだ。実際のところ、心の底では双極性障害と診断されても本当に自分はそんな病気なんだろうか、と思っていたので、行動や態度にもそれが表れたのだろう。

精神科専門病院とはどんなところか

「~でよければ副院長先生」キレる

そんな体たらくだから、精神科専門病院で初診の時、「本当に私はそういう病気なんでしょうか」と真顔で担当医師に尋ねた。いわゆるセカンドオピニオンを求めたのだが、先生は、「~でもよければ副院長先生」からの紹介状に記された内容にも目を通していたらしく、「はい、所見の通りだと思います」と即答した。続けて、正式にセカンドオピニオンを求められるなら5000円の文書料が必要です。内容は、今申し上げた通りで何も変わりませんが、どうしますか。

何気ない質問が、転機になろうとは

5000円と言われて、正式なセカンドオピニオンはその場でお断りした。2人の専門家に、あなたは双極性障害です、と診断されているという事実は重い。その後、病院のスタッフにその精神科専門病院の入院病棟も見学させてもらい、病院内も案内してもらったが、自分の足取りは重かった。しかし病棟見学の際に、何の気なしに聞いた質問が、自分の転機になろうとは思いもしなかった。

当時、私は、朝は昼過ぎまで寝ていて(というより起きられない)、昼過ぎに起きてきて何か食べられるものを食べて、フジテレビのバイキング→グッディ→地方局のニュースワイドショーとテレビを見続けて(テレビを見ていないといろいろ考えて不安になってしまう)、ようやく暗くなってきたら図書館へ歩いていき、新聞を読んで、また歩いて帰ってくる、夜は薬と睡眠薬で寝るが、必ず覚醒して寝られずに朝を迎える、その繰り返しという状況だった。だから、入院すれば、生活リズムが取り戻せるかもしれない、という淡い期待を抱いていた。あまり深く考えずに「7時に起床と言われましたが、寝ていたら起こされるのでしょうか」と尋ねると、何もしない、そのままに寝かせておく、という回答が返ってきた。

私は、はっとした。自分はそれまで、自分の状況を、誰かが何とかしてくれる、と思っていたのだ。自分が何とかしないとずっとこのままだぞ、という誰かの声が聞こえた気がして、体中をさあーっと寒いものが走った。自分はその時突然気づいた。何をすべきなのか、もやっとしていたものが霧が晴れるように分かった。精神科専門病院の先生と職員に丁重にお礼を申し上げ、入院するかどうかは後日連絡することにしてその場を辞した。

翌日、すぐに「~でもよければ副院長先生」に謝りに行った。「真面目に治療に向き合いますのでもう一度診てください」とお詫びし、精神科専門病院へは転院せず、引き続き治療を続けてもらえるようにお願いした。私があまりにも殊勝な面持ちでいうので、「~でもよければ副院長先生」も笑って私の謝罪を受け入れてくださった。今思えば、ちょうど、そのあたりが、どん底だった。後ろを向いたら、すぐそこに地獄の底がパかッと口を開けて待っている。問題はまだ何も解決していなかった。

 

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